「Well-beingな未来」を実現する~デジタル活用の課題と展望~「Well-beingな未来」を実現する~デジタル活用の課題と展望~
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「Well-beingな未来」を実現する~デジタル活用の課題と展望~

社会のあらゆる領域で、デジタル化が一段と加速している。テクノロジーの急激な進化は、人間の生をどう変えていこうとしているのだろう。今、私たちが考えなければならないのは、一人ひとりの「well-being」と、誰ひとり取り残さない社会とを実現すること。デジタル化にあたっての課題、そして新時代の展望を、台湾デジタル大臣のオードリー・タン氏と、NEC取締役会長の遠藤信博が語り合った。

★本記事は2021年9月に開催された『NEC Visionary Week 2021』セッションの抄録です

★LEADERS VISION読者に贈る特別なアドバイス「オードリー・タン 台湾デジタル大臣に訊くビジネスを成功させる5つの鍵」は、本ページ下部にございます。

「市民のため」ではなく
「市民とともに」

オードリー・タン氏

台湾デジタル大臣
ソーシャル・イノベーション担当
オードリー・タン

オードリー・タン氏(以下、オードリー) 私はよく「ITは機械と機械をつなぐものだが、デジタルに携わる我々は人と人をつながなければならない」と言っています。こうして遠藤さんと私がつながっているのは、まさにデジタル技術によるものです。well-beingの鍵は「つながり」にあります。人と人の「Well-connected」をつくることによってwell-beingを実現すること。それがデジタル技術の役割と言えるのではないでしょうか。

遠藤信博氏(以下、遠藤) おっしゃる通りだと思います。NECはインダストリーのプレーヤーであり、人間社会のために価値を創造するという大きな役割を担っています。企業が価値を生み出すには、働く一人ひとりが人間社会に貢献したいという思いを持っていることが大事だと思います。そうした価値創造の過程で「個」が尊重され、価値を創り上げ、そして、人間社会に対するサステナビリティに対する価値を創り上げていくことがとても大切で、その一連の動きそのものが、well-beingのとても重要な活動であると私は考えています。

オードリー そうですね。私からも申し上げたいのは、企業は社員やユーザーと新たな価値を一緒に創造できるような関係になるのが良いと思います。個を尊重するということは、人々を新たな価値を共創するパートナーと考えることだと思います。私は台湾でデジタル大臣として仕事をしていますが、「政府のため」に仕事をしているのではありません。また、「市民のため」に仕事をしているのでもありません。私は「市民とともに」働いています。そして市民も「ユーザー」ではなく、社会の課題を解決するための革新的パートナーなのです。

 市民がつくる技術である「シビックテック」を政府発の「ガバメントテック」と区別する必要はありません。テクノロジーはあくまでもオープンなもので、市民とともにつくったソリューションのプロトタイプが、ほんの2、3日でガバメントスケールに広がっていくこともあります。このようなオープンイノベーションは、企業や政府にとっても、社内外の人々がつながるオープンイノベーションが新しい価値を生み出すための鍵になるのではないでしょうか。

遠藤 まさに、これから、well-beingも含めていろいろな社会問題、例えば、エネルギー問題や地球環境問題、スマートモビリティといった課題に対して、「効率化」だけではなく、全体最適の解決策を創っていくのがとても重要な時代になってきたなと感じています。新しい価値創造のためには、オープンな対話を通じて、密接なコミュニケーション、ディープディスカッションをしながら、在り方に対する「合意」をつくり、共通のゴールを設定することが必要です。市民や市場と方向性を共有できなければ、well-beingにはつながらないと思います。

オードリー おっしゃる通りです。私は、以前、民主主義というと、4年に1度の議員を選ぶ投票を思い浮かべていました。しかし、インターネットの時代、特に「Internet of Beings」はシグナルを実際につなぐことができ、他の方向にも作用させられます。例えば台湾の防疫相談センターに電話をかけて意見を述べるだけで、日々、誰でも新しい防疫対策を提案することができます。

 私はこの事例を通じて、デジタル技術が、民主主義とは4年ごとに行われる儀式、という考えを、民主主義は日々実践できるものなのだ、と変えていきました。

遠藤 そうですね。オードリーさんがおっしゃったプロセスのように、課題は自ら掴みにいき、自ら理解しなければならないと私も思います。国連のSDGsの項目を一つひとつ見ていくと、人間の本質的欲求をサステナビリティの観点から表現していることがよく分かります。それをしっかりと理解し、それに対する価値を創造しましょうよというのがSDGsの大きな方向感なのではと思っています。特にインダストリーは、サステナビリティが支えられる欲求というものを、人間社会とコミュニケーションを取りながら理解し、方向感を作り上げていくというプロセスが必要になってきているなとつくづく感じています。オードリーさんはいかがお考えでしょうか?

オードリー その通りだと思います。私は、スマートガバナンスやスマートモビリティシステムが個人をエンパワーメントする、という考え方が大好きなのですが、スマートシティについて話すことはほとんどありません。

 私はいつも、「スマートシチズン」、つまり、賢く、産業やツールやプロセスによってエンパワーメントされ続ける市民について話しています。

 私はSDGsが批准された後にドレスコードを変更しました。SDGs批准前は、黒、白、グレーの服を着ていましたが、SDGs批准後は、SDG17番「グローバル・パートナーシップ」を象徴する色である濃紺の服を着用することが多くなりました。SDGsの17番目の項目は、「パートナーシップで目標を達成しよう」です。これは、オープンイノベーションと信頼性の高いデータの活用によって、様々な分野間のパートナーシップを築こうという方向性を表現しています。

 例えば私は今、古いジーンズを再利用した「アップサイクルデニム」を着ています。捨てられそうになっていたジーンズを誰かがデザインし直し、価値を再生させたものです。これは、デザイン、経済、環境といった分野が結びつくことによって生まれたものです。経済分野と環境分野の価値観は対立していると以前は考えられていましたが、互いに結びつき、新しい価値を生み出すことも可能なのです。

「デジタル民主主義」を
実現する2つの鍵

遠藤信博氏

NEC
取締役会長
遠藤 信博(えんどう のぶひろ)

遠藤 先ほど、全体最適というお話を申し上げましたが、私は地球全体で答えとして持たないといけないのではないか、と思っています。基本は国の単位で考えるかもしれないけども、本来どうあるべきか、といったことを、地球全体で答えを作り上げていくという努力がこれから求められるように思っています。

オードリー そうですね。私ももはや「国」や「地域」という単位は、地球全体で見た時に最良の単位ではないと思います。二酸化炭素には国境は関係ありません。生物ウィルスやコンピュータウィルスと同じく、国境を越えて広がります。このように地球規模で起きていることに対して自覚すべきは、外の世界からの影響を受けるということです。

 私たちの意思決定において、地球全体の説明責任を果たすことが大変重要であるということです。ビットコインやイーサリアムなどの暗号資産(仮想通貨)に参加したことで環境にどのような影響を与えるかを考え、説明責任を果たさなくてはなりません。自分の行動の結果を理解して、初めて、本当の意味での価値を語ることができるのです。

 台湾では、シビックテックの技術者が、スーパーマーケットで売られているクッキーの箱のバーコードをスキャンすると、値段ではなく商品の環境負荷が表示されるアプリをつくりました。一箱のクッキーを生産する際に排出されるCO2の量などから、商品の環境的価値を明らかにする技術です。それによって、そのクッキーは安さと引き換えに私たちの将来世代に環境コストを押しつけているかもしれない、といったことが分かるわけです。これは、地球全体を視野に入れた取り組みの一例です。

遠藤 地球的視点を可視化する素晴らしい仕組みですね。今後、ICTや先端技術が今後どのような力をもてば、人間社会により貢献できるとお考えですか?

オードリー 台湾では、ブロードバンドは人権だと考えられていて、誰もがどこからでも定額でインターネットが使えることが保証されています。僻地にいても、離島にいても、です。それによって民主主義の平等性が保たれるだけでなく、遠隔医療や遠隔教育も実現します。誰もが健康に暮らせることが人権であるのと同じように、コネクティビティも人権であると私たちは考えています。デジタル化において誰一人取り残さないこと。それが、ICTを社会に実装する際に欠かせない視点です。

 また、技術者が共創によって本当の意味で社会的ニーズを知ることや、一人ひとりの市民がソリューションの開発に参加できることも大切です。コネクティビティにおける格差をつくらないことと、デジタル技術を共創できる仕組みをつくること──。その2点がデジタル民主主義実現の鍵であると私は思っています。

遠藤 現在、日本でもあらゆる領域でDXが進んでいます。DXにおいて最も重要なのはデータであると私は考えています。モビリティ、ヘルスケア、ロジスティックスなど、データを活用することで新しい価値を生み出すことができる分野がたくさんあります。データをどう集め、どう活用していくのがよいのかお考えをお聞かせください。

オードリー おっしゃるとおり、今後ますますデータドリブンになると思います。

 20年ほど前はデータを生成するためのコードを記述していましたが、今では機械学習で収集しているので、データがどこから来ているのかを確認することは非常に重要です。人々がデータの共通ルールを十分に理解して自発的にデータを共有すると、バイアスに気付くことができ、高品質なデータを取得できるからです。

 一方で、共通ルールを考慮せず、機械的にデータが収集された場合、偏ったデータが得られ、さらに悪いことに、手遅れになるまで偏ったデータが認識されないため、やはり共通的なルール整備が重要です。

 このようなデータに基づくシステムが導入される前は、書面(テキスト)で仕事をしていましたが、私達はテキストの共通ルールを意識せずに当たり前のように従っていました。例えば学術論文には査読などの独自のルールがあるなど、それぞれの分野には、これまでの社会におけるテキストを中心とした既存のコミュニティに適応したルールがあります。

 私は、データドリブンな社会においては、データ自体のルールを議論するのではなく、データベースのシステムが適用される社会のルールも含めて議論すべきだと確信しています。病院や診療所にテキスト形式にまつわるルールがあるならば、データ化する際には、同じ社会からの期待に対して、より迅速に、より安全に、従う必要があるのではないでしょうか。

オードリーが天才である秘訣

オードリー・タン氏

オードリー 私は毎日8時間の睡眠をとります。7時間しか眠れなかった日は、その日のうちに残りの睡眠時間をどこかで補います。十分な睡眠が必要なのは、イノベーションは無意識から生まれるからです。

 起きている間は、いろいろな人の話を聞き、エンパシー(共感)を得ることに努めます。しかし、その場で判断をしたり、解決策を出したりはしません。昼間はただひたすら耳を傾け、夜になったら眠りに就くのです。そうすると、朝起きた時に新しいアイデアが自然に生まれるようになります。そのような私のスタイルが、天才と呼ばれるような成果につながっているのかもしれません。

遠藤 朝起きた時に自然にアイデアが浮かぶというのが、まさに天才たる所以ですね。我々ではできないことです(笑)。ホモサピエンスの特徴として、エンパシーを持てるということはとても重要な力であり、人間社会をより一層磨き上げて、課題を意識し、それに対するソリューションを作り上げるというプロセスを踏むことが、とても大事だと思います。

オードリー まさにその通りだと思います。きちんと睡眠がとれないと、シンパシー(同情)しか持てないということになり、つまり、その人の答えに引きずられてしまいます。簡単にその人の味方になってしまいます。でも、十分に寝た後は元気なので、エンパシー(共感)することができます。同情ではなく、共感することができるということです。つまり、十分な睡眠がとれれば、人々の声に耳を傾け、共感しながら、私の考え方もバランスをとって考えることができるのです。

遠藤 なるほど、シンパシーではなく、エンパシーが大事ということですね。オードリーさんが自らを大きく成長させることができたきっかけについても教えていただけますか。

オードリー 間違いなくインターネットとの出会いです。私がインターネットを始めたのは1993年、12歳の時でした。それまでは、クラスにも近所にも、私と同じ哲学的問題に関心を持っている人は誰もいませんでした。しかし、インターネットを始めてワーキンググループに参加することで、私は初めて孤独感を払拭することができたのです。

 インターネットを使えば、物理的に隣人ではない人々ともオンライン上で隣人になることが可能です。では、なぜ人はオンライン空間で知らない人を信頼することができるのか。私はその謎を解明したいと考え、校長先生に相談したところ、先生は私の探求心を後押ししてくれました。そこで私は中学を辞めて、その問題を研究するグループに参加したのです。

 インターネットでは他人に対する信頼が生まれる一方で、コミュニケーションがしっかりデザインされていないオンライン空間では、互いにけなし合う人が増える傾向があります。すでに1990年代から、この問題を世界中の研究者が活発に研究していました。その研究コミュニティに参加することで、私は大きく成長できたと思います。

遠藤 世界中の人々とつながることによって、価値を生み出す。そのプロセスに参加した経験が非常に大きかったということですね。自分を成長させるためには、多くの人とのつながりがなければならないということなのだと思います。

オードリー ええ。私は「ウブントゥ(Ubuntu)」の思想を信じています。これは「自分を育てるには、自分をパズルのピースと考え、他人と助け合ってパズルを完成させていくことが必要である」というアフリカの思想であり、Linuxのディストリビューションでもあります。パズルを完成させることが、すなわち自分自身を育てるということです。

 自分をよりよく育てることができた人は、先入観を持って他人に接することがなくなります。私はよく、「あなたの価値観を大切にします」と言います。タイプや役割ではなく、その人の価値観こそが唯一重要なものだと考えるからです。それがまさしくウブントゥの精神です。

 私がインターネットの研究コミュニティに参加した時はまだ14歳でしたが、コミュニティの仲間の多くは私の年齢を知りませんでしたし、知っていたとしても年齢のことなど気にしませんでした。私に対する先入観を誰も持っていなかったのです。そのような環境に参加できたことは、非常に幸運だったと思っています。

遠藤 そういう世界はとても重要な世界ですね。それができる世界を、我々が作り上げていかなきゃいけないということでもあるかもしれませんね。

オードリー そうですね。私は、同世代の人たちだけでなく、子孫や後世の人たちがさらに革新していくことを念頭に置いて、完璧な祖先になるのではなく、グッド・イナフ(程良い)な祖先になるように努力しています。子孫が自分たちのやっている仕事を革新する余地を残しておきたいと思っていますので、後世の人たちへの敬意も大切にしています。

「Fast(速さ)」「Fair(公平さ)」
「Fun(楽しさ)」

遠藤 これからの時代は、課題を見つけることが非常に重要になると言われています。本質的な課題の見つけ方について、考えをお聞かせください。

オードリー そうですね。私は「もし、あなたがデジタル担当大臣だったらどうしますか?」この問いを繰り返すことを心がけています。新型コロナウイルスによるパンデミックが起きマスク配給を行った時、数字に誤差が生じました。私は配布をしている薬局の薬剤師に、「何が間違っているのか?」「あなたがデジタル担当大臣だったらどうするか?」と訊ねました。そうして分かったのは、薬局は国民すべての居住地域に均等にあるわけではないということです。最寄りの薬局まで公共交通機関を使って3時間もかかるという人もいました。地図上では同じくらいの距離に見えても、人によっては同じとは限りませんでした。そこに本質的課題があることが明らかになったのです。その課題を踏まえて、私たちはOpenStreetMapコミュニティのアルゴリズムに切り替えることを提言し、24時間後にはそのように修正しました。

 人は様々なバイアスに捉われがちです。だからこそ、いろいろな人の意見に耳を傾け、「あなたがデジタル担当大臣だったらどうやって改善させますか?」と問いかけて、課題を見極めていくことが必要なのです。

課題解決に向けた道筋を
人々と共有する方法

オードリー 新しいアイデアを社会全体に広げるために私は「3つのF」という柱を築きました。すなわち、「Fast=速さ」「Fair=公平さ」「Fun=楽しさ」です。「Fast」は、新しい情報を迅速に人々に伝えること、「Fair」は共通の利益の達成を目指すこと、「Fun」はそのアイデアに参画することの楽しさを共有することです。この3つがそろうと新しいアイデアがどんどん広がっていきます。

 マスクの配給を始めた時、ある男の子が防疫相談センターに男の子から電話がかかってきました。「クラスの男の子たちにはブルーのマスクなのに、僕にはピンクのマスクが届いた。僕は男だからピンクのマスクはイヤだ。学校でいじめられちゃう」──。

 そこで、翌日の記者会見でChen Shih-Chung医療担当大臣や公衆衛生担当者がピンクのマスクを着けました。そして、大臣は「私が子どもの時、ピンクパンサーがヒーローだったんだよ」と語りました。「楽しさ」の要素を示しながら、人々に「公平な」態度を促す行動を、「迅速に」行ったわけです。その「ヒーローの人達」が着けていたピンクのマスクは、その男の子しか着けていなかったことから「楽しいな」と感じたし、クラスで一番のクールな子になりました。これは、ジェンダーの主流化が、教義ではなく、ファッショナブルなものになったことを意味します。この記者会見の後、台湾のあらゆる一流ブランドが、ソーシャルメディア上の自社のアイコンをピンク色に変えて連帯の意思を示してくれました。

個を尊重しながら、つながり合う

遠藤信博氏

遠藤 Well-beingを実現するためには、どのような教育が必要になるとお考えですか。

オードリー そうですね。すでに台湾の教育カリキュラムの一部になっていますが、教師は生徒のために教えるのではなく、生徒と一緒に学ぶこと、つまり共同学習者になること、としています。自分の学びや研究の方向性を決めるのは生徒自身だからです。

 これまでは教師が統一テストを実施すると、必然的に生徒は同じクラスの他の人と競争することになり、自分の分野や方向性を自由に探せないため、生徒の努力はある意味で相互に打ち消し合うことになっていました。既存の学校の分野を固定された星座のように扱うのではなく、生徒に空の自分の方向を選ばせれば、その星や知識が元々どのような分野のものであっても、その方向に近い星が生徒自身の星座を形成することになります。

 つまり、同じクラスの人たちが競い合うのではなく、同じ方向に向かっている人たちと一緒になるので、個人間の競争ではなく、新しい方向に向かって相互にサポートし合うことになります。

遠藤 やはり重要なのは、個の尊重ということですね。

オードリー その通りです。植物は自分が成長する方法を知っています。植物に成長の仕方を教えてあげる必要はありません。日光と水と栄養があれば、自然に育っていくのです。人間の教育もそれと同じです。教師がやるべきことは、生徒一人ひとりの成長の方向性を理解し、寄り添ってサポートすることです。

遠藤 日本ではこの夏にオリンピックが開催されましたが、私が大変驚いたのは12歳、13歳という年齢で参加し、メダルを獲った選手もいたということです。しっかりと努力をしながら価値を創り上げる能力を育てていくということで、とても若い方も、そういう能力を発揮することができるのだと。ですから、まさにオードリーさんがおっしゃられたような、個を尊重し、成長を促す教育の仕組みがあれば、若いうちから自分の力を発揮することは可能なのでしょうね。

オードリー 可能だと思います。今回のオリンピックは、オリンピックモットーに新たに1語加えたのが特徴だと思います。これまでのオリンピックモットーは「Faster, Higher, Stronger(より速く、より高く、より強く)」でしたが、今回から「Faster, Higher, Stronger - Together(より速く、より高く、より強く-一緒に)」と「Together(一緒に)」が加わりました。個人のためだけではなく、コミュニティにおける全ての人、つまり人類全体のコミュニティのために、「より速く、より高く、より強くなる」ことなのです。

遠藤 いわば、個を尊重しながら、つながり合うということですよね。つながりながら、大きな目標へ向けてともに努力をしていく。そんな意味合いが込められた言葉だと思います。

 全体最適な答えをつくることは、一つの企業ではできません。個人がつながり合うことによって大きな力を発揮できるように、企業もまた様々なプレーヤーと競い合いながらも、価値を生み出す方向性を共有し、ともに全体最適な未来を創っていくことが必要なのだとあらためて思います。

「ソフトウェアを中心とした市民社会」の
実現に向けて

遠藤 DXが進む中で、ハードウェア以上にソフトウェアの重要性が非常に高まっていると私は感じています。その点に関する考えをお聞かせください。

オードリー ソフトウェアがユニークなのは、何もないところからつくることができるという点です。ソフトウェアを改良するために必要なのは、数学的な洞察力だけです。新しいコピーを配布する際のコストもほとんどかかりません。この2つの特性が意味するのは、すべてのソフトウェアユーザーはソフトウェアをよりよいものに変える力を持っているということです。これはハードウェアにはない特徴です。

 パソコンとクラウド環境があれば、最高のソフトウェア開発チームと同じ開発プロセスを実現できる。つまり、開発に民主的な参加の余地があるということです。ソフトウェアの著作権や特許法などいわゆる知的財産権の侵害で訴えられる恐れがなければ、そしてオープンイノベーションやオープンAPI、オープンデータなどの環境があれば、10代の人でもソフトウェア開発に参画し、有意義な社会貢献ができるのです。

 台湾では、数多くの小学生や中学生が「エアボックス」と呼ばれるデバイスを使って大気の質を測定するプロジェクトに参加しています。彼・彼女らは、幼いうちからデータの管理の仕方や、データを取り扱う責任、オープンソフトウェアの活用法について学びます。できるだけ早い段階でデータ活用やソフトウェア開発に関わることによって、人々は「スマートな市民」になり、「Software-Defined Civilization=ソフトウェアを中心とした市民社会」が実現する。そう私は考えています。

遠藤 大変参考になりました。まさに個人がそのデータを取得するということ、データを取得することによってそのデータに対して責任を持つということ。そのことを実感するということはとても大切ですね。小さい時にそういうことを実際に行い、体感するということがあれば、そのデータの意味合い、データの大切さ、データに対する責任、責任。そういうものが身につきますね。とても面白い取り組みだと思いました。

オードリー ありがとうございます。

遠藤 とても有意義なお話をたくさんうかがうことができました。最後に、ICT企業に対する期待をお聞かせいただけますか。

オードリー・タン氏

オードリー NECのような大手ICT企業には、技術的システムと社会システムを統合するインテグレーターとしての重要な役割があります。そこからイノベーションを生み出すのもまた、ICT企業の役目です。

 台湾では、大手システムインテグレーターがつくったシステム基盤をオープンにする仕組みができています。それによって社会の安定性が保たれるだけでなく、その基盤の上で様々なサービスやソリューションを構築することが可能です。つまり、安心・安全とイノベーションの両方を生み出す基盤になっているということです。日本のICT企業の皆さんも、オープンなシステム基盤を社会に広く提供し、人々のwell-beingの実現に力を発揮していただきたい。そう思います。

 そして、私から感謝の念を伝えたいと思います。アストラゼネカ製の新型コロナウイルスワクチンを台湾に寄贈していただいたおかげで、私は2回目の接種を受けることができ、これで完全に予防接種を受けることができました。近いうちに日本を訪問し、みなさんにお会いできることを楽しみにしております。それまで、みなさん、「Live long and prosper!(長寿と繁栄を!)」。

オードリー・タン
台湾デジタル大臣が語る
「ビジネスを成功させる5つの鍵」

オードリーさんにとって「ビジネスにおける成功の条件」を教えてください。

 サプライチェーンを構成するプレーヤーやお客様とつながり、価値を共有すること。それが最も重要だと考えています。そのようなつながりがなければ、実際に価値を創造できているのかどうかが分からないからです。仮にマイナスの価値を世の中に提供してしまっていても、お客様などとつながりがないと、それに気付くことができません。価値を共有することができれば、製品やサービス、あるいはそれを提供するプロセスと市場を上手にフィットさせることができるはずです。

プロジェクトメンバーを選ぶ時、一番重視するポイントとは?

 ダイバーシティとインクルージョンです。ここでいうダイバーシティとは「視点の多様性」のことです。私のオフィスにいる20名ほどのスタッフのうち、およそ半数は経済、環境、内務、外交などを担当する省庁からの出向者です。一省庁からの出向者は一名と決めています。一つの省庁から何人ものメンバーが集まると、視点が偏るだけでなく、役職による上下関係が生じる可能性があるからです。残りの半数は、民間のデザイナーや市民テクノロジストなどです。公的機関と民間のスタッフがいることによって、それぞれの視点を補完することが可能になります。

 チームに新しいメンバーを入れる時は、現在のメンバーとは異なる視点を持っていることに加えて、他のメンバーと協力し合い、チームに貢献できるかどうかを重視します。つまり、インクルーシブな(チームの一体感をつくれる)人材ということです。

社会のデジタル化の重責を担うシステムエンジニアに求められる能力とは?

 エンジニアとしてのスキルだけでなく、デザイン力も保有していることだと思います。

 台湾でプログラミングを習うということ、ソフトウェアエンジニアリングではなくプログラムデザインを学びます。「エンジニアリング」の役割が機械と機械を結びつけることだとすれば、「デザイン」の役割は人と人を結びつけることです。

 本当の社会的価値が生まれるのは、人と人がつながった時です。ですから、エンジニアは自分をデザイナーでもあると考えなければなりません。デザインは、プロダクトや建築だけではなく、人と人の交流、サービス、戦略、メカニズム、市場など、あらゆる領域に関わります。そういった多様なデザインを支えるのがエンジニアリングである。そう考えるべきだと思います。

部下の育成のために大事にしていることとは?

 私は部下自身に方向性を決めてもらうようにしています。

 いつも申し上げることなのですが、方向を示すのは若い世代の人々であり、彼らにエネルギーを与えるのがそれよりも上の世代の人々の役割です。

 デジタルネイティブである若い世代は、社会にまだなじみのない最新のイノベーションを地球のどこからか見つけてきては取り入れ、課題を分析することができます。

 それより上の世代には知恵や経験があるので、新しいアイデアを迅速に、安心・安全を保ちながら事業に実装していくことができます。一方、これまで身につけてきた知恵に制約されて、イノベーションや新しいソリューションを受け入れにくいという傾向もあります。

 そこで、最も大切なのは、それぞれが同等の立場で話し合い、互いの強みを発揮しながら、価値を共創していくことだと思っています。

意思決定の場面で最も重視していることとは?

 数多くの意見に耳を傾けることです。新型コロナウイルスによるパンデミックが起こった時、「市民の健康を守るためには、自由の制限もやむを得ない」という意見があった一方で、「個人の自由、人権、民主主義は守られなければならない」という意見もありました。新しい技術を開発するにあたって、「地球の環境を大切にしなければならない」という意見と「短期的なGDPや経済成長に寄与すべき」という意見が対立することもしばしばあります。

 私は、すべての異なる意見を考慮することが必要だと考えています。なぜなら、そこから「ロックダウンをせずにパンデミックと戦う」「民主主義を守りながら社会イノベーションを起こす」「繁栄と持続可能性を両立した循環型経済のイノベーションを実現する」といった新しい方法が生まれる可能性があるからです。異なる意見をトレードオフ(両立できないもの)と捉えるのではなく、新しい方向性を見出す要素と考えることが大切だと思います。